門前ちょんがり(輪島市門前町地区)

1 アヤーレヤレ ヤーレナー

  花のお江戸のそのかたわらに(ハヤレコラサッサ)

  聞くも珍し 心中ばなし 所四谷の新宿町に(ハヤレコラサッサ)

  (以下 カタガナ部分・はやしことば略)

2 紺の暖簾に桔梗の紋は 

  音に聞こえし橋本屋 幾多(あまた)女郎のあるその中で

3 お職女郎の白糸こそは

  歳は十九で当世育ち 愛嬌よければ皆人さまが

4 我も我もと名指しで上がる

  別けてお客はどなたと聞けば 春は花咲く青山へんの

5 鈴木主水(もんど)と言う侍よ

  女房持ちにて二人の子供 五つ六つはいたずらざかり

6 子供二人のあるその中に 

今日も明日もと女郎買いばかり 見るに見かねた女房のお安

7 ある日我が夫主人に向かい

  これさ我が夫(おっと)主水様よ わたしゃ女房で妬(や)くのじゃないが

8 子供二人が伊達には持たぬ

  十九 二十(はたち)の身じゃあるまいし 人に意見も言う年頃に

9 やめておくれよ女郎買いばかり

  金のなる木を持ちゃんすまい どうせ切れるの六段目には

10       とこ先生どうじゃいな

もはや私の受け持ち時間 次の音頭と交代いたす どうかよろしくお頼み申す

 

   「ちょんがり節」の歴史は古い。応仁の乱後、ちょんがれ武左衛門たちが現れ、廃墟の中から富と自由を求め、大黒舞などの唄が作られた。ちょんがれ、ちょぼくれが唄物語になったのは明和・安永・天明期からである。当時この民謡は、瓦版的な価値があった。

大道芸人が数人ずつ組みとなって諸国の出来事を唄物語として吟遊(ぎんゆう)した。太鼓やささら、ほら貝、鐘、その他あり合わせの樽や皿を巧みに伴奏に使った。世相を風刺したり、土地の名を巧みに歌い込んだり、数え唄を作ったり、軽妙に歌い並べて当意即妙にこなしながら人々を喜ばした。

  ちょんがれ、ちょぼくれ坊主が諸国に歌い残したものが次第に地方に定着してローカル色や人情がしみ込んで盆踊りにはなくてはならない民謡になった。その名称も土地によってちょんがり、じょんがら、じょんからなどと呼ばれ、親しまれている。
ちょんがり節考