能登麦屋節(輪島市門前町地区) 石川県無形民俗文化財
1 能登の七浦(しつら)でエエナ 竹切るイナー(チョイト)
音はイナー三里聞こえてイナー(チョイト)
五里サーイナー響くイヤー(アラチョイト五里響くヤイナー)
三里聞こえてイナー(チョイト)五里サーイナー響くヤー(以下はやしことば、繰り返し略)
2 麦や小麦は 二年ではらむ 米やお六は 年 ばらみ
(アラチョイト年ばらみヤーイナ)米はお六は 年ばらみ
3 輪島麦屋は 七軒(ななやけ) 八軒(ややけ)
中の麦屋で 市が立つ
3 竹の丸木橋ゃ滑って転んで危ないけれども 君となら 渡る
落ちて死ぬとも 諸ともに
◆ 能登素麺(そうめん)は、輪島を中心として生産され、海路の敦賀から敦賀へ陸揚げ、さらに琵琶湖上
から大津を経て京都へ、そして公(く)卿(げ)、僧呂、武士間の需要を充たしてきた。輪島素麺の生産は、400年以上も続き、様々な変遷を経ている。
素麺は小麦を原料とし、これを生のまま臼に入れ、3人の娘たちが縦杵(きね)でリズミカルに搗(つ)いて粉にした。このリズムに唄い出された粉搗き唄が麦屋節である。この労働力は、輪島近郊の娘たちの筋力が頼りであった。娘たちは、それぞれ雇われ先の素麺屋のことを麦屋といった。麦屋では、粉を造る。ふるいにかける。こね鉢でこねる。これを細める。そして娘たちの軟かいな指先で細めながら乾燥して素麺ができあがる。元禄の頃から縦杵製粉から石臼製粉に変わってきた。これと同時に麦屋節は間伸びのある音律となり、アクセントも異なって物悲しい調子に変化していった。
今日、七浦地区に残っている唄い方は、古い形のものである。越中五箇山に伝わる麦屋節は、元禄元禄以前のもので、間伸びの曲も三味の音に添えられ、引き締まった優れた曲となっている (合併30周年記念・門前町民謡集「ふる里のにおいを」から引用)
◆ この唄は、昭和43年、石川県指定無形文化財に指定されている。