二俣木吊り唄(金沢市二俣町地区) 採譜 松嶋庄次
1 先のご先生親方様が あまり続いてご苦労じゃ故にヤ わしが一言息継ぎまする
(アイヤーレヤレナーサアヤーレヤレナー息継ぎまする)
2 二十歳前から木吊り習うた 木吊りするには道具が要
生藤切って台縄作り 台棒通うしてテンカラ掛けて
相棒同士でマキモチ付けてヤ 息杖持って荷作りできた
(アイヤーレヤレナーサアヤーレヤレナー荷作りゃできた)
3 それじゃ皆の衆今から吊ろか 相棒互いに向き会って立って
息杖立てて片方が担ぐヤ 担いだ足から踏み出すまいか
(アイヤーレヤレナーサアヤーレヤレナー踏み出すまいか)
4 尾山城へと道中が長い 高峠越すには登りが続く
はなかじ合図の息杖あげてヤ さあさ一本肩変えまいか
(アイヤーレヤレナーサアヤーレヤレナー)
*台縄=木材を吊るす藤縄 台棒=運ぶ木材を吊るす強い丸太
まきもち=1m50cmほどの桐丸太で肩に担ぐ棒
テンカラ=まきもちと交差する棒
はなかじ=端にいる音頭取り
◆ 1580年、金沢城の前身、尾山御坊(金沢御堂)は佐久間盛政によって陥落し、金沢城と改称。1583年前田利家公が金沢城に入城後、尾山城と改称。城は1587年高山右近により改修を期に金沢城と改称したが、住民は当分の間尾山城とも呼称していたという。城は、その後、度々の焼失と再建があり、その度に必要な材木は金沢市二俣町の山から切り出し、金沢城まで大勢の人夫で運んだという。材木の重量、道程によって人数が異なるが、一本の材木を逆天秤方式により吊り上げて運んだので、大変きつい労働であったいい、度々の休憩の際に唄を唄って力つけたといい、二俣町では、こうした切り出し・大正・昭和の運搬の機械化まで続いたという。この所作事は金沢百万石まつり「百万石行列」にも数回出演したこともある。平成5年ごろ、二俣町の知人から昔から「二俣町に木吊り唄が残っているにで、ぜひこれに三味線譜を付けて欲しい」と北都民謡会に要請を受け、1995年、この唄を唄い易いように採譜したのである。