二俣いやさか踊り(金沢市二俣地区)             

 

1 ハイヤーアアーアーイヤーサカサイ(ソレヤサカサイ)

  アアー盆にヤぼた餅ヤーイ 祭りにやー真餅

  日中ヤー休みヤーエ 小麦だこ(アー背主ヤーよも言うたヤーイ)

  休みにヤー日中 日中や休みにヤーイ小麦だこ

  (以下はやしことば・カタガナ部分略)

2 紙を漉くには 秘伝がござる 小腰屈めて お手下げて 屈めて 小腰かがめてお手下げて

3 声はすれども 姿が 見えぬ

  様は 草葉のヤ きりぎりす

  草葉のヤー様はヤー 草葉の きりぎりす

4 起きてゆかんせ 朝草刈に 向かいナ お山に 陽が射しゃる

5 踊る子供にゃ 鈴買うてたらせ 殿が馬より 殊勝らしい

6 心細い時ゃ 背戸へ出て泣きゃれ 背戸の鈴虫 ともに鳴く

7 今日は休ん日や何かしょか婆さ 小麦だごでも しょうかい婆さ

8 盆の十五日 お精霊修礼 こりことぼいて 墓参り

9 米を研ぐなら しゃっきりしゃんと研ぎゃれ 濁し離れをよくなされ

10       盆に飯(まま)食うて踊らん奴は 山へ追い上げて 芝刈らせ

11       様の三度笠 振り上げて被れ 少しお顔が見とござる

 

     金沢市二俣町に伝わる民謡である。寿永二年(1183)今から830年余り前、木曾義仲の軍勢が京都に向かう途中、倶利伽羅谷の合戦で平 維盛らの軍勢と戦い、勝利した。その勝利を知らせる「のろし」を砺波山に揚げたのである。それを見た二俣の住民は、「わしらの源氏が勝った、わしらの一族が勝った」と喜び合った。田にいた者、紙すきをしていた者、道を歩いていたものを問わず喜び合ったのである。そのときの姿がいやさか踊りの始まりといわれている。源氏がますます栄え、部落が平和でありますようにという意味で「いやさか」「弥栄」と名つけられたという。踊は、男子の「鈴踊り」「太刀踊り」「菅笠踊り」、女子は「手踊り」「扇踊り」「菅笠踊り」「笠踊り」の7種類が踊られる。二俣では、毎年、旧盆の8月15日の夜、町内の本泉寺境内にやぐらを設営し、華やかに踊られる。踊りには、衣装や道具に源氏の家紋である笹りんどうの刻みや染め抜きがあり、源氏一族の名残りをとどめている。石川県無形民俗文化財(平成7年指定)でもある。